【海外記事紹介】「オルト・ライトは、ニーチェのダメな読みに心酔している。ナチスもそうであったように」(Vox)

 紹介するのは、Voxの記事「オルト・ライトは、ニーチェのダメな読みに心酔している。ナチスもそうであったように」(Sean Illing, "The alt-right is drunk on bad readings of Nietzsche. The Nazis were too." Vox, 2017/08/17)。「オルト・ライト」「オルタナ右翼」(Alt-Right)を自称するネットに軸足を置いた極右グループは、かつてのナチスがそうであったように、頭の悪い読み方をされたバージョンの哲学者ニーチェ(1844-1900)に勝手に心酔してうぬぼれている、というお話。

 アメリカの白人至上主義者についての記事だが、「ニーチェに影響を受けた」と自称する人々の約8割から9割が、誰も相手にする必要のないアホである(※出典不要)理由も示唆してくれる。

鏡としてのニーチェ

 以下、Vox 記事より抜粋。

(※)記事に登場するリチャード・スペンサーについては別の記事紹介を参照。

「僕はニーチェによってレッド・ピルされた、といえるだろう」

ホワイト・ナショナリストのリーダー、リチャード・スペンサーは6月に「Atlantic」誌のグレアム・ウッドに対して、彼の思想的な目覚めをこのように語った。「レッド・ピル」とは、オルト・ライトの常用語で、仄暗い、それまで埋もれていた真実に直面する「エウレカの瞬間」を指して用いられる。

スペンサーや、19世紀ドイツの哲学者フリドリッヒ・ニーチェに熱狂するその他のオルト・ライトたちにとっての仄暗い真実とは、次のようなものである。すなわち、人種、平和、平等、正義、礼儀正しさ、普通選挙権といったものをめぐる現代のあらゆる慣習的な信条は、一切戯言である、これらは人間によってでっち上げられ、永遠なる真実へと祭り上げられたものにすぎない、というものだ。

ニーチェは、世界は絶え間ない流動の中にあり、大文字の「真実」など存在しない、と言った。彼は、道徳的・社会的慣習を、個人を窒息させるものと考え、憎んだ。


だが、もしあなたが、中間試験のために一夜漬けする大学1年生のようにニーチェを読んだならば、あなたは確実に彼を誤解することになるだろう。少なくとも、あなた自身の先入観を彼の著作に投影することになる。そうなったとき、私たちが手にするのが、「Week」誌のスコット・ガルポが最近名付けたところの、「ダメなニーチェ」(bad Nietzsche)である。


「Atlantic」誌のインタビューで、無神論者を公言するスペンサーは、一風変わったキリスト教擁護論を持ち出してウッドを驚かせた。すなわち、キリスト教という宗教は誤りであるが、キリスト教は「ヨーロッパの諸文明を結びつけた」、という主張である。

スペンサーの見解はオルト・ライトにおいてよく見受けられるものだ。彼らはキリストの教えには何の興味もないが、彼らは、キリスト教の信仰というフレームワークの上に築かれた白人ヨーロッパ文明、という大建造物を見るのである。彼らの見方では、キリスト教世界こそがヨーロッパ大陸を結合し、白人のアイデンティティを作り上げたものなのである。

ここにはパラドックスがある。彼らは、西洋はキリスト教的諸価値を内面化したために堕落し薄弱になった、と信じている。だが、彼らはキリスト教を、ヨーロッパ文化を結び付けたものと信じて、擁護することにもなるのである。


ニーチェは、キリスト教が西洋文明の発展にとって中心的であったと認めたが、彼の哲学全体は、西洋はキリスト教を超えて進むべきだ、と人々を説得することに焦点を当てたものであった。

ニーチェが「神は死んだ」という有名な宣告をした時、彼が意味していたのは、科学や理性は、神への信仰をもはや正当化できない地点にまで進歩を遂げた、すなわち、私たちはその信仰に根を持つ価値観をもはや正当化できない、ということであった。彼の要点は、私たちは、私たちの価値観の基礎となるものがない世界と取り組まなければならない、というものであった。

オルト・ライトは、ニーチェの哲学のその部分をスキップする。彼らは「神の死」というテーゼを愉快に感じるが、その含意を無視するのである。

「ニーチェの議論は、あなたがたは、自民族中心主義に逆戻りすることなく、先に進まなければならない、というものでした」。『ニーチェの偉大な政治学』の著者ヒューゴー・ドロチョンは私にそう語った。「多くの点において、スペンサーは、『神の影』にとどまっています。キリスト教は終わった、と叫びながら、何か新しいことをしようとするよりも、キリスト教に代わってくれる何かを見つけて、私たちが神がまだ存在するかのように生きられるようにしようとしているのですから」


スペンサーがニーチェについて話しているのを聞くと(残念なことに、私は彼がニーチェを論じたポッドキャストを聞いた)、お気に入りだと言い張る本の序章より先を決して読むことがない誰かの話を聞いているような感じを覚える。大学1年生の批評理論セミナーで耳にする類いのディレッタンティズムなのだ。彼は「ラディカルな伝統主義者」「原‐未来主義者」といった用語を使うが、いずれも他の人間にとって何ら意味内容を持たない言葉なのである。

あまりにも多くの表層的なニーチェ読者がそうであるように、スペンサーはそのラディカリズムに興奮しながら、それをまじめに受け止めないのである。旧来的な保守主義に対するスペンサーの拒絶は、ニーチェの思想に根を持っているが、白人の民族国家というスペンサーの夢想は、まさにニーチェが彼の時代のドイツで糾弾していた類いのものなのだ。


ニーチェは反ユダヤ主義を繰り返し非難しており、友人であったプロト・ファシスト的な作曲家リヒャルト・ワーグナーとは、ワーグナーの狂信的な反ユダヤ主義をめぐって、絶交にいたったほどであった。ニーチェはまた、1871年にドイツを統合したプロイセンの政治家オットー・フォン・ビスマルクの「血と土」の政治を非難していた。ビスマルクが、民族主義的なルサンチマン(怨恨)を焚き付け、人種的純血性に訴えることによって彼の権力を固めていたからである。


ニーチェは、世界は間違っている、社会は逆立ちしている、我らの聖なる牛たちは屠殺されるのを待ち構えている、とあなたに告げる。そのため、もしあなたが多民族的な社会に住んでいるならば、あなたは社会的多元主義をこき下ろすことになるのである。もしあなたがリベラル・デモクラシーの中に生きるならば、ファシズムを称揚することになるのである。要するに、あなたは政治的に正しくない(politically incorrect)ものになり、そして、そのことを以て、自分は反逆児であると夢想しうぬぼれるのである。


だが結局のところ、人々は、ニーチェの著作の中に、彼らがすでに信じ込んでいるものを見つけているのである。それが怒りと不満に駆られたオルト・ライトが、ニーチェの中に、彼ら自身のルサンチマンの鏡像を見出す理由である。もしあなたがあなたの嫌いな世界を拒む理由を探しているのならば、あなたはそれをどこにだって見つけることができる、とりわけニーチェの中に。

ありふれた怨恨

 冒頭に出てくる「レッド・ピル」(Red Pill)とは、以前別の記事でも触れたが、「オルト・ライト」を名乗るグループと大幅にオーバーラップする、反フェミニズムのオンライン・グループに由来する特殊な語彙。「抑圧されているのは女ではなくて、男のほうだ」という「真実」に「目覚める」ことを、映画『マトリックス』(1999年)の中で主人公ネオが赤色のカプセル(red pill)を飲むことになぞらえた表現だ。アホである。

 だが、彼らの歪な世界観を次のように揶揄したアニメーター(ゲーム『Night in the Woods』のスコット・ベンソン)は、殺害予告を受け取ることになったという(公式サイトの作品紹介より)。

But I'm A Nice Guy from Scott Benson on Vimeo.

 今年7月に BuzzFeed が「オルト・ライトの背後にいる後援者」(Aram Roston and Joel Anderson, "The Moneyman Behind the Alt-Right", BuzzFeed, 2017/07/24)と題する記事を公表した。スペンサーと「オルト・ライト」運動に資金提供してきた、だが、表にその名の出ることはほとんどない76歳の億万長者、ウィリアム・レグナリー2世(William Regnery II)についての記事である。

実際のところ、その運動〔訳注:「オルト・ライト」〕はインフラストラクチャーを持っていた。組織があり、定期刊行物があり、会合があり、資金があり、それらは何年も前に敷設されていたものなのである。その大部分は一人の人物によって資金提供されていたものだった。その人物とは、ウィリアム・レグナリー2世という、その名を知られることの少ない、年老いつつある億万長者で、あなたが名前を聞いたことがない最も影響力のある人種主義者である。

巨額の富を相続し、保守主義運動における著名な一家に育ったにもかかわらず、彼は彼の人生の最初の60年間には実質的に何の公的な成功をも勝ち取ることができなかった。彼は大学を卒業することがなかったし、一家のビジネスの経営に手を出したときにはヘマをやらかした。

だが1999年に、彼が他の中年のホワイト・ナショナリストたちを「ピンク・パレス」の呼び名で知られる海沿いの豪華なホテルに招待して以来、彼は、アメリカを改造して、彼が白人の「民族国家」(ethnostate)と名付けるものを創り出すために、何十万ドルもの資金を注ぎ込んできたのである。


とはいえ、15年以上の間、レグナリーの投資と運動はなんらめぼしい成果を結ばなかったし、人種によって隔離されたアメリカという彼の夢は、彼の数々の失敗に加わるもう一つの失敗に終わることを運命づけられているかに思われた。

そうでなくなったのは、ある異例の歴史的出来事によって彼の投資と運動とが救われることになってからだ。すなわち、ドナルド・トランプの大統領選出馬である。

 この BuzzFeed 記事の中で個人的に興味を引いたのは、レグナリーが2016年に1964年以来初めて大統領選に投票したと語り、「私は人には、これまで大統領選に二度投票した、と言っている」「最初はバリー・ゴールドウォーターで、2回目はドナルド・トランプだ」と熱弁していた、という箇所。1964年の大統領選では、レグナリーは、差別撤廃の公民権法に反対する共和党候補バリー・ゴールドウォーターの支持者として活動し、敗北を味わっていたのである。

彼のもっとも記憶に残る努力は、「露の滴」作戦(Operation Dewdrop)と名付けられた、フィラデルフィアの民主党支持者の投票を抑え込もうという入り組んだ謀略であった、と彼は言う。彼の説明するところでは、当時、民主党支持者は雨が降ると投票に行く数が減る、という説があった。そこで選挙の当日、彼はドライアイスと双発機を用いて雨雲を生み出そうとしたのだという。雨は降らなかったが、ドライアイスの入った容器のせいで指に火傷を負った、と彼は言う。〔……〕ゴールドウォーターはリンドン・ジョンソンに大敗した。

 アホである。だが、この敗北以来、50年ものあいだ恨みを募らせてきた老人が、ドナルド・トランプの出馬に興奮し、その当選に歓喜している様子を想像すると、笑って済ませられないものがある。

 白人男性人口が相変わらず支配的な地位を占めている社会の中で、自分たちこそが本当に抑圧されている被害者だと叫び、黒人、女性、移民、同性愛者、トランスジェンダーといった自分たちでないグループの声が聞こえてくるたびに、自分たちの存在が脅かされつつある、と確信を深める。そんな男の見つけ出したスポークスマンが、昔ながらの白人至上主義を低級なディレッタンティズムで飾り立てるリチャード・スペンサーであり、彼らの前に現れた突破口的存在がもう一人の老人ドナルド・トランプであった、というわけである。

 ブランド付けを別にすれば、これはとりたてて新しい運動などではない。彼らはいわば、ずっとそこにいた人たちなのだ。そこに昔ながらのダメなニーチェ理解がひょっこり顔を出すのも、当然といえば当然なのだろう。


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