過去を生きる人、ドナルド・トランプ:「ピッツバーグ」失言の意味すること

 日本語でも詳細な報道のある話なので、ごく普通のニュースの拾い読みの域を出ないが、“covfefe”ツイートなどよりも、ある意味では笑いを誘う出来事かもしれない(というか逆に、“covfefe”の一件は、デマ拡散の常習犯で、原子力潜水艦の配置のような軍事機密を電話会談で気軽に他国に漏らしてしまう大統領の個人アカウントが、スタッフのチェックもなしに運用されていることを明確にした、という意味では、実際のところ「怖い話」である)。

ピッツバーグ市長の反論

 CNN日本語版(2017/06/02)より:

米国のトランプ大統領は1日、ホワイトハウスで演説し、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」から離脱すると表明した。

米国はオバマ前政権の下でパリ協定に調印。これまでに世界195カ国が同協定に署名している。


トランプ大統領は昨年の大統領選で、パリ協定離脱を公約に掲げて当選した。演説では、自分を大統領に選んだ有権者の意思を尊重すると語り、「私はピッツバーグ市民によって選出された」「パリに選ばれたわけではない」と力説している。

 このトランプ大統領の演説には、参加国が目標を自主設定できるパリ協定について「再交渉」の意向を述べるなど誤解・誤認に基づくと思しき点が多い、との指摘が早速寄せられ、とりわけ名指しされたピッツバーグ(ペンシルバニア州)の市長からも反論を受けたことが話題を呼んだ。

事実:ヒラリー・クリントンはピッツバーグの80%の票を受け取りました。
ピッツバーグは世界とともにあり、パリ協定に従います。

私たちの国のすべての州の多数派の人々がパリ協定参加を支持しています。

 正確な数字はクリントン77%、トランプ21%とのことだが、ペンシルバニア州全体としては僅差でトランプ勝利となったものの、ピッツバーグはトランプ氏がまるで振るわなかった都市なのである(Heavy)。

 この初歩的な事実誤認を含め、今回の決定がアメリカにとってどのような意味を持つのか。Voxの記事が、要点を簡潔にまとめている(Zeeshan Aleem, "Trump: I was elected to represent Pittsburgh, not Paris. Pittsburgh: Uh, we’re with Paris.", Vox, 2017/06/01)。

1)トランプが圧倒的にクリントンに票が投じられた都市の名に訴えようとしたという事実は、トランプのパリ協定からの撤退がいかに軽率で政治的に日和見主義的なものかを物語る申し分のない要約となっている。彼は、彼が実際にクリントンに勝利した象徴的なラスト・ベルト=斜陽鉄鋼業地帯(Rust Belt)の町の名前を選ぶことが間違いなくできたはずである。しかし、注意散漫なスピーチライターはどうやら、二つの都市の頭韻〔訳注:Pの重なり〕が単純に気に入ってしまったようだ。

2)ピッツバーグは、大都市であり、その人口がクリントン寄りでパリ合意を支持していたとしても驚くにあたらない。だが、仮にあなたが慈悲深くピッツバーグよりもレンズを広げてみたところで、その一帯は温暖化否定論者やパリ協定を憎悪する人々によって埋め尽くされてなどいない。アメリカにおける多数派は、地球温暖化の存在を信じており、約3分の2はパリ協定を支持している。実際のところ、すべての州における多数派が協定を支持しているのである。

3)連邦政府レベルでは望ましい温暖化政策は死んだかもしれないが、地方政治が重要となる——それも大いに。グローバルなエネルギー関連CO2排出の4分の3は都市から排出されている。今後アメリカでは、都市が、重要で野心的なエネルギー政策にとっての主要な戦場となるであろう。

頭のなかは今も1980年代?

 それにしても、なぜよりによってピッツバーグの名前をあげてしまったのか? Slateの記事が、この都市の経歴を振り返りながら、大統領の誤りの含意を論じている(Henry Grabar, "Donald Trump Claims to Champion Pittsburgh Over Paris. He Knows Nothing of Pittsburgh", Slate, 2017/06/01)。

またしても、ドナルド・トランプは自身が1980年代から新しい知識をほとんど獲得していない男であることを示した。1980年代のあいだ、ピッツバーグは実際、苦境にあった。都市は1970年から1990年のあいだに人口の30%を失った。1983年には、ピッツバーグの都心部の失業率は17%にまで達した。近隣地域にとっても事態はいっそう悪いものであった。脱工業化とグローバリゼーションの衝撃が、モノンガヒラ川流域を襲ったのだ。だが、それは35年も前の話である。

今日、ピッツバーグの最大の雇用主は、ピッツバーグ大学医療センターである。もう一つの大学、カーネギー・メロン大学は、世界的によく知られたロボット工学研究所を抱えている。「ゴールデン・トライアングル」はダウンタウン再生を象徴する目印で、19世紀最大の労使紛争の舞台であったホームステッドの鉄鋼工場跡地は、ショッピングモールとなっている。

 記事は、かつてのピッツバーグがアメリカ史上最悪の空気汚染に苦しむ都市であったことを述べて、法規制や産業転換を通じて今日の模範的な脱工業都市としての姿を獲得したことを指摘している。トランプ大統領は、この経済環境の変化への適応例のような都市を、生まれ変わる前の30年昔のイメージで語ってしまったわけだ。

 トランプ大統領はこの演説の結びで「フランスのパリよりも、オハイオ州ヤングズタウン、ミシガン州デトロイト、ペンシルバニア州ピッツバーグを優先すべき時なのである」と述べたが(Voxによる全文書き起こしを参照)、驚くことに(あるいはむしろ予想がつくように)、ピッツバーグのみならず、ヤングズタウン、デトロイトもトランプ敗北地区である(利用可能な市単位での集計を見つけることはできなかったが、ニューヨーク・タイムズの集計によると、ヤングスタウンを郡庁所在地とするマホニング郡では49.5%対46.2%で、デトロイトを郡庁所在地とするウェイン郡にいたっては66.4%対29.3%で、クリントン氏が勝利を収めている)。

 無意識を露呈させるフロイト的な失言とも評したくなるが、Voxの記事でも触れられているように、これはとっさに出た言葉などではなく、スピーチライターがいるはずの演説である。「ポスト真実」「オルタナティヴ・ファクト」で騒がれるトランプ政権だが、そもそもの根っこにあるのが、単なる「無知と怠慢」であることを忘れてはいけない。嘘をつくのはトランプ・ホワイトハウスの十八番かもしれないけれど、就任後100日を過ぎても、色塗りされた大統領選地図をひけらかしていた(ロイター日本語版2017/05/06)、というトランプ大統領にしてみれば、わざわざ自分から大敗地区を持ち出してしまう、というのは、痛い話。

 トランプ大統領は、選挙地図のコピーを記者たちに唐突に配り出した同じ5月のロイターの取材に対して、「以前の生活を愛していた」「もっと簡単だと思っていた」と過去の生活を恋しがる発言をしたことでも知られているが、今回の「ピッツバーグ」失言を見るところ、彼は文字通り「過去を生きる人」だったようだ。

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